建築・建物・設計・施工

建築
50年前と今(2026年)、感じている変化。エアコンを持っている家庭は、百軒のうち十軒くらいだったのが、今は90軒以上の家にそれはある。エアコンは家の外と中をはっきりとに分けてしまう、特に暑い夏と寒い冬には。舗装されていない泥道はとても不便で、生活しづらい。アスファルト舗装の道はとても快適だ。そして炎天下のそこはとても暑い(熱い)ということも知っている。夏のその舗装の表面の温度を計ると55度を示していた。アスファルトは蓄熱体、コンクリートも。このような暮らしで、このような物に囲まれていれば、どのようになるかは簡単に想像できる。「自然」「風流」といった感覚をもっと手繰り寄せられれば、少しは心地よさの質を変えられると思うのだけれど、「わかっているけど、やめられない」という意識が、その変化への行動の妨げになっている。住宅建築のレベルでは「焼石に水」という思いを、「三人寄れば文殊の知恵」のような思いにもっていく方法はないものか?今年、はじめて台風が東からやってきた。台風一過の、あの爽やかな青空をこの台風は運んでこなかった。昨年の夏、石造りの家の国から「家の中ではじめてカビをみた」と知人のもとに知らせが届いた。これまでは起こらなかったなにかが起こっている、それはみんな感じている。感じてはいるんだけれど、私一人だけではね…、と思っている人もきっと多い。

 

建物
石と木は自然の中に入れば目の前にたくさんある。たくさんあるこの材料は、建物をつくる上でも大いに役立ってきたし、今も身近で使われている。見た感じや肌触りが、人に馴染みやすいこの石と木は、建物を形づくる材料として、ずっと主役を演じてきた。200年以上前、この主役の座を狙う物が登場する、鉄である。鉄はセメントとも協同し、鉄筋コンクリートという材料を世に出すことにも成功した。鉄とコンクリートは、石と木の建物が覆ってきた空間の質を大きく変えた。石・木・鉄・コンクリートの材料を並べて、それらに触れてみるとき、その感触はそれぞれに異なる。人(感覚・気分)と材料(質感・性質)、そしてその間にできる空っぽな部分(空間)。この三つの結びつきを強めたり、弱めたりしながら用と形が一心一体となっていくとき、建物は「自然体」のような、無理のないものに近づいていける。このようなものが増えてくれれば、あの感覚(風流)がもっと身近に感じられるようになってくると思う。

 

設計
設計図を描いていると、鳥の目のような遠くを見る能力と、虫めがねを覗いてみるような近くを見る能力が必要になる。この極大と極小の方向性を縦軸とし、植物や虫、そして人間のような複雑性(生命)を横軸においた座標の中で設計を考えていく。この見えるものと見えないものを一体化できなければ、「自然体」のような建物には近づけない。建物を考えていくとき、敷地のどこに家を建てるのか、敷地のどこに庭をつくるのか。家の中から外(庭)をみて、庭の中から内(家)をみる。そのなかで人々が暮らしている。庭までつくり込む予算がなくても、庭と家のつながりは、考えながら線を画く。植物はたくさん太陽を浴びるために、葉っぱなどの皮膜を最大限外に向け、容積は最小にしようとする。動物はその逆で、最大の容積を包み込むために最小の面積の皮膚を持つ。これと同じような特徴が庭と家にもあてはまる、庭と家が一体化したその場所は、素のままの姿に帰れる場所になる。

 

施工
これまで考えてきたものが、ようやく形にあらわれるとき。設計者ができることは、これまで考えてきたことを施工者に伝えること。図面に描かれていることだけではなく、図面には描かれていない、その意味や理由を伝えていく。工事がはじまると、週に1,2回の現場通いで、全体の状況を把握しながら、このような作業を積み重ねていく。予算のこと、地盤のこと、ご近所との関係、工期のこと…、いろいろな現実が目の前にあらわれてくる。エコノミーとエコロジーが混ぜこぜの状態の中で、最後はエコノミーのパワーに支配されてしまうのが今日の状況。200年ほど前までは、この2つは共存していたんだけどね。もう一度共存の道を見つけて、「自然体」のような建物を施工しやすくできたらと思うんだけど…